11/30~12/3 鹿児島・都城・熊本 その2

Posted on 水曜日, 12月 5th, 2012

12/1・2は実家。

実家の中庭を工事したと母から聞いていたんですが、プチ公園化してました。

12/2(日)は一周忌。(命日は12/14)

父が死んでから約1年。もうかなり昔のことのように思える・・・

子供が生まれ父が死に、考えること考えなければいけないことは、当然の如くたくさんある。
社会人になってからのこの10年、たいした変化のない同じような1年があっという間に過ぎていき・・・を繰り返しているけど、少ししずつ緩やかに、そして確実に、景色や状況は変わっていく。

↑北海道のおじさん・おばさんから、カニ!

夕食

Tags:

父のこと

Posted on 火曜日, 1月 31st, 2012

黒木博道〔クロキヒロミチ〕(1949-2011)

野中日文門人。1949年生まれ。
宮崎県延岡市出身。
1968年合気道に発心、1970年合気会本部会員となる。
1974年~78年、祥平塾菅沼守人師範に師事。
1982年 都城合気道錬成会設立。
藤井敬山(書)門人。
2011年12月14日、逝去。

僕も子供の頃、父の下で合気道を習っていた時期があったのですが、サッカーをはじめたりいろいろやっているうちに、自然と足が遠退いて行きました。

父が設立した道場は、今後も門下生の方々が引き継いでくださるようです。

父はもちろん(?)合気道だけやって生活していたわけではないのですが、そのスタンス的なものは意図せず似たような感じと言うか、なんとなく僕が受け継いでるのでかな、と思ったり。

自分が年頃になってから、父とそんなにベラベラ話す感じではなくなったけど、ここ数年は(僕が合気道のHPを手伝ったりしていたこともあり業務連絡兼ね)月に一度程度簡単なメール(PC)のやりとりはしていました。

2004/3/19(金) 14:03

“桃花春風を笑む、良い季節となりました。元気でやっていることと思います。
遅くなりましたが、書展の写真を送ります。半年間毎日少しずつやってきた成果です。
「吾
道一以貫之」は「吾が道は一つをもってこれを貫く」と読みます。
書の先生が、お父
さんのためにわざわざ手本を書いてくれました。
この道一筋の先生ならではの言葉だ
と思います。合気道一筋のお父さんと書道一筋の藤井敬山師とは馬が合うようです。
初めての作品だから掛け軸にしてとっておくことにしました。
夢は還暦を迎えたら、
書の個展を開くことです。これはできそうな気がします。
それではまた。 父より”

2010年の9月、今の僕の奥さん、を初めて実家に連れて行き紹介しました。
東京に戻った後、父からこんなメールが届きました。

2010年9月6日 13:52

“昨日、一昨日と楽しい時間を過ごすことが出来ました。「いい娘さんだよね」。空港から帰り道、お母さんと話したところでした。
 今後のことは、二人でよく話し合って進めたらいいと思います。二人の考え方が主になればいいのだけど、周りのことも考慮に入れて進めなければいけません。とくに先方のおじいちゃん達の意向を大切にするといい。こちらはそれに合わせようと思います。最終的には、来月行ったときにはっきり決めればいいと思います。
 家庭を持つと今までとは違い、いろいろと制約が出てくるわけだけど、その中でやり遂げて行くことが、本当に価値のあることです。
 今まで口に出して言ったことはないけど、結婚・子育て・転職、そんな中で作り上げたオレの合気道は世界一だと思っているよ。それでいいんじゃないかな。”

Tags:

四十九日

Posted on 土曜日, 1月 28th, 2012

父の四十九日の為、金曜から月曜まで宮崎に帰ってます。

Tags:

12/14 – 18 宮崎

Posted on 水曜日, 12月 21st, 2011

カメラは持って帰ったんですが、SDカードを忘れるという失態。
携帯で撮影した何枚か。

Tags:

死は確かなもの、生は不確かなもの

Posted on 水曜日, 12月 14th, 2011

今朝3:45頃、父が他界したと母から電話がありました。

実家へ帰ります。

エゾリス ペリー

Tags:

The long goodbye

Posted on 火曜日, 11月 29th, 2011

本日、都城へ帰る日。
母と兄と、あと病院の先生も付き添いで。
僕は空港で見送り。

父は眠っていたので、言葉を交わす事も目も合わすことも出来なかったけど。
とりあえず、見届ける事が出来て良かった。

その後、無事地元の病院に着いたとの連絡がありました。

Tags:

病院

Posted on 水曜日, 11月 23rd, 2011

今日はけっこう喋ってました。
「元気そう」というと語弊があるというかちょっと違うかもしれないけど、いつもの“調子”が出ている感じがしました。
受け入れ先の病院と飛行機の空きの関係で、都城に帰る日は29日の火曜日に。

Tags:

病室の窓

Posted on 月曜日, 11月 21st, 2011

Tags:

“NEW DAYS” @原宿アストロホール

Posted on 土曜日, 11月 12th, 2011

ライブ@アストロホール
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

今回のライブの最後に引用した詩の朗読。

「父の唄」 作:谷川俊太郎

遠く行け息子よ
おれをこえて遠く行け
愛せるだけの女を愛せ
だが命かけて愛するのは
ただひとりだけ
おれがきみのおふくろを愛したように

遠く行け息子よ
地平こえて遠く行け
拓けるだけの荒野を拓け
だが命かけて求めるものは
ただひとつだけ
おれがついにつかめずに終った何か

遠く行け息子よ
時をこえて遠く行け
笑えるときは大きく笑え
だが涙流しこらえるのは
ただ自分だけ
おれがいつもひとりでそうしたように

Tags:

続・闘病日記

Posted on 火曜日, 11月 8th, 2011

月曜日

仕事をそこそこに切り上げ病院へ。
姉も宮崎から来る。

火曜日

仕事をそこそこに切り上げ病院へ。
今後について、先生とお話。
その後、父とも話し、方向性を決める。

Tags:

2011/11/6

Posted on 日曜日, 11月 6th, 2011

日々いろいろとアレなんですが、

先生から改めて話があり、手術はナシの方向に。

Tags:

大阪から神奈川へ

Posted on 水曜日, 11月 2nd, 2011

父の病気、打つ手無しに近い非常に悪い状況だったのですが・・・、
兄&姉が裏でいろいろ動いてくれて凄腕の先生とコンタクトとることができ、手術できる(かもしれない)ということになり、大阪から神奈川の病院に。

ここ最近は本当に激動な感じでしたが、簡単に書くとそんな感じです。

Tags:

東京へ、そしてリハ

Posted on 日曜日, 10月 23rd, 2011

土曜の夜は、5人で話した後、その後兄弟3人で3時頃まで話して、日曜の朝6時に起床。

僕が年頃になってから、父とそんなベラベラ喋るようなことはなくなったけど、やはりずっと背中を見て育ってきた。
空港へ向かう7:30のバスに乗らないといけないため、起きてから家にいたのは1時間くらいか。
母と軽く話しながらダイニングで朝食を食べる僕に、リビングで座っている父が、

「ライブはいつやるのか?」

と聞いてきた。

「11月12日。」

と答えたら、少し遠くを見て、一呼吸おいて、

「そのライブの録画した映像を今度見せて」

と言った。

「見せれるようなクオリティじゃないから」

と茶化して答えたけど。

 

飛行機に乗り東京に戻り、一旦家に帰って、荷物とってゴハン食べる暇もなくリハへ。
やるといったからにはやる。
キッチリとやる。
例えお客さんが0人でも、僕は全身全霊でやってやらねばいかんのである。

Tags:

アルバム

Posted on 土曜日, 10月 22nd, 2011

今後について話し合う為、土曜の朝、飛行機に乗って実家宮崎へ。

父、母、姉、兄、僕。

3人でも4人でも、6人でも7人でもなく、家族5人というのはかなり久し振りかも。

酷い曲しか作れなくても、酷い演奏しかできなくても、僕らは素晴らしいアルバムを作る事ができる。

Tags:

大阪

Posted on 木曜日, 10月 13th, 2011

 

 

 

 

 

 

ただいま

Tags:

赤ちゃんの笑顔

Posted on 火曜日, 10月 11th, 2011

なんとなくノホホンと生活しているようですが、いい話題ばかりでもなく。
父が5月に悪性の腫瘍(脂肪肉腫)の手術をしまして、手術は無事終わったのですが、9月の検診の時に再発が見つかり。
今度は手術が難しい状態 ・また脂肪肉腫というやつは抗がん剤も効かないらしく、打つ手がないという状況で・・。
他の病院を探していくつか回ったみたいなのですが、どこもダメみたいで・・・

そんな暗雲立ち込める中、大阪で、また違った治療法をしているところがようやく見つかったらしく、父は昨日から大阪に行っています。

僕も明日・明後日、子供を連れて大阪に行ってきます。
まだそんな遠出したことないので不安はあるのですが、自分が出来る数少ないこと。
どうしても赤ちゃんの笑顔を見せてあげたい。

留守番よろしくね

Tags: